the Genealogy
中條真一アニキの訃報を知ったのは5月28日
北海道ツアーの真ん中。帯広の街。
大川未来生(ミッキー)アニキと電話で話す。
5月28日午前4時48分。
今夜も全力で歌うだけだとステージで吠えるも
不覚にも泣いた。
溢れるものはどうしようもなかった。
仙台へ戻り、隣町の中條さんの墓までコップ酒とギター担いでった。
僕がこの街で歌い始め活動も本格化してきた2009年頃、
自然なことのように、この街の唄いびとの原点は誰なのかと気になった
そして繋がるどの線も あるひとりの男にたどり着いた
中條真一
不思議なことにそれからすぐに、ある仙台の小さなステージのある酒場で
とても普通じゃ無い、心を鷲掴みにする歌声とギターを聴いた。
「 この人が 中條真一さんに間違いない 」
顔も見たことが無いのにすぐにわかった。
もうこの頃は気分の良い時にしか弾き語りを披露してくれなかった時期だったのに
僕は幸運だった !
唄うたいの挨拶は 「歌うこと」 僕もギターで歌わせてもらった。
それ以来、本当によくしてもらったよ。
音楽と本当に困ってる人たちへの眼差しはとてつもなかった
そしてそれ以外はどうでも良かったし
歌えばすべてが許されてしまう、解決してしまうようなそんな人だ
周りのひとたちが 「それは到底無理ですよ! 」 ってことにも
信念は決して曲げることはなかった
僕はとなりでそれを目の当たりにしてもバカげたこととは思えなかった
それは僕もバカげていたからなのかもしれないけど、
中條さんを突き動かす原動力はとっても純粋に思えて仕方がなかったから。
優れたコンポーザーだったにも関わらず、
楽譜もコード譜も歌詞も紙っきれもなんにも残さなかった中條アニキ
頭の中と胸の中に全部入ってんだもの
そして少しは僕ら次世代へ。
とにかく人を喜ばす、笑顔にするのが得意で大好きだった中條アニキ
僕はいつも考えてしまう。
「人間はここまで歌えるようになれるのか」
歌っても、歌っても
ぜんぜんわからない
だから歌い続けてるのか。
たかが歌で大げさな!
でも大げさなんだものしかたない。
自分の大部分を占めて呪われているのだものしかたがない。
死んでもおかしくないときに歌で救われたんだもの仕方が無い。
歌っても、歌っても
ぜんぜん近づけない
帰り道
今となっては中條さんの最後になってしまったフルコンサートを僕と一緒にやってくれた思い出のお店を訪れた
2011年6月25日 中條真一 & 菊池健一 BENCH TIME LIVE
あのまんまのステージ
あんまりにあのまんまなものだから
いつものように
ステージに酒を置いたらさ
カランカランと下駄を鳴らしてさ
現れてくれるんだよね?
いるんでしょ、中條さん
今夜も弾き語ってくれるよね?
そして照れくさそうに笑って 「 いい夜だ 」 って言ってくれるんでしょう?
ガタゴトガタゴト列車に揺られてひとりでいってしまわないでおくれよ
天からいつも覗かれたんじゃこっぱずかしくてとても歌えやしないよ
僕らのような唄うたいのための道を切り開いてくれてありがとうございます。
いずれそこのカウンター席に僕も行くのでちょっとばかり待っててくださいね。
菊池健一
2016.06.16 | | コメント(1) | トラックバック(0) | LIFE
